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概要

20150218-0005-001

20 第1 章 肥後種山石工技術継承講座 経過報告  実技指導 竹部 光春  第12回 1月12日(土)  「緑地広場A橋(踊水橋)築造」  第13回 1月26日(土)  「緑地広場A橋(踊水橋)築造」竹部光春師匠とともに石橋記念公園を訪問 第2期の第1回講座は、山都町立図書館ホールで行われ、第1期講座の内容を要約したビデオ映像を使い、再度、基礎知識と心構えの確認が行われた。 第2回講座は、鹿児島市の石橋記念公園を訪れ、公園内に移設復元された西田橋、高麗橋、玉江橋、石橋記念館を見学。かつて西田橋の移設復元工事の石工棟とうりょう梁を務めた竹部光春師匠が、川底や壁石の奥の中詰めなど、外からは見えない箇所の構造をはじめ、当時のエピソードを交え解説した。 西田橋は1846(弘化3)年、鹿児島藩が肥後から岩永三五郎を石工棟梁として招き、鶴丸城下を流れる甲突川に架けた4連アーチの石造橋で、橋長49.5㍍、橋幅6.2㍍と長大なものである。当時の藩財政改革の成功を示すかのように、7,127両の建設費が投じられたとされる。 甲突川にはほかにも、岩永三五郎を棟梁として築造された玉江橋(1849年架設、4連アーチ、橋長50.7㍍、橋幅4㍍)、新上橋(1845年架設、4連アーチ、橋長46.8㍍、橋幅4.8㍍)、高麗橋(1847年架設、4連アーチ、橋長54.9㍍、橋幅5.4㍍)、武之橋(1848年架設、5連アーチ、橋長71.0㍍、橋幅5.5㍍)などの長大な石橋が築造され、これら5つの石橋は「甲突川の五石橋」と呼ばれた。 しかし、1993(平成5)年8月の集中豪雨による甲突川の洪水で武之橋と新上橋が流失したため、残る3橋を貴重な文化遺産として後世に残すため、河川改修に合わせて石橋記念公園を設け、西田橋、高麗橋、玉江橋は移設・保存されることになった。同公園は2000(平成12)年に開園した。*2西田橋(鹿児島市石橋記念公園)*2 西田橋はじめ甲突川の五石橋と石橋記念公園開園に関する内容は、財団法人鹿児島県建設技術センター発行(平成12年8月)「鹿児島県 石橋記念館 展示解説書」を参考にした。