ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

20150218-0005-001

26 第1 章 肥後種山石工技術継承講座 経過報告 翌9日、私は16時20分に現場へ到着。アーチ全体を青色の保護シートで覆ってあったが、シートを外して見せてもらいました。年末に降雨と寒さの中で何度も積み直したアーチ。下に川の流れがないのが寂しい感じがするものの、支保工撤去後のほぼ輪石だけのシンプルな姿は優美に感じられました。 11日は15時45分に現場に行くと、そこに中村秀樹さんが来られたので、私は以前から気になっていたことを尋ねました。 「橋脚部の外側に設置する石材の数が、反力石の役目を果たすには少ない気がします。あれでも大丈夫なのでしょうか」 「アーチ下の地下には、網目状に鉄筋を入れてコンクリートで固めてあります。それが左右の橋脚が開こうとするのを防止する機能を果たしていますので大丈夫です」と中村さんは説明される。 それを聞いて私は安心しました。復元した石橋の前の道路にはバスが通る。ちょうど路線バスが近づくのが見えたので、中村さんにお願いし、アーチの中央部に上ってもらったところ、近くをバスが通ってもアーチががたつかないことを確認できました。復元された須ノ前橋(宇城市不知火町) 須ノ前橋は、1867(慶応3)年架橋、径間4.5㍍、橋幅2.8㍍の単一アーチ橋。かつてまちの東には、大歳宮(神社)の脇から須ノ前橋の下を浦ん谷川が流れていたが、川は現在、暗きょを流れているため、復元された橋は「白壁土蔵のまち」のモニュメントのように見える。 松合は八代海に面したかつての港町。江戸期は海上交通の拠点として栄え、長崎港を経由した中国向け海産物(干しナマコやフカヒレなど)で財を築いた商人たちがいた。まちの西を流れる春の川には松合橋(1820年架橋)が現存。東には浦ん谷川が流れ、宮ノ前橋や下須橋などの石造アーチ橋が架かっていたという。*4