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概要

20150218-0005-001

竹部光春氏の石工人生 37設物も随時建設を進めた。 またこれら架設工事と平行して、一帯の堆積土砂の取り除き、路面の発掘、石垣の解体なども行った。これら調査作業の重要部分がおおよそ考察され得る時点で、文化庁担当官の現地指導を受け、さらに調査を進めていった。その他の調査として、文献、写真、聞取なども行った。構造診断調査も、写真測量、観察などの作業が進んでいった。    施工者については次のように記載されている。 施工は、調査工事、修理工事ともにそれぞれ指名入札により、株式会社西村建設(砥用町・当時)の請負工事とした。その他、修理工事において、石垣変位の観測を指名入札により、株式会社中央測量設計(熊本市)に委託した。 竹部光春さんは、霊台橋保存修理工事を請け負った西村建設の社長から、この調査・修理工事の石工棟梁を依頼される。同社代表取締役の西村昭利氏は、竹部さんと同じ集落に住む青年団の先輩で、西村邸の石垣工事を竹部さんが担当した縁もあった。設計監理を担当する財団法人文化財建造物保存技術協会(東京都荒川区)の技術職員で工事主任の木村勉氏と同じく工事主任補佐の橋本孝氏に、西村社長は工事で石工棟梁を任せられる人物として、竹部さんを推薦していた。 当時を振り返り竹部さんは次のように語る。 「文化財の仕事はやり直しができん。傷を付けることは許されん。削はつりもできん。石を積む順番を間違えると次の石が合わんようになる。だけん、どがんしたらよかか分からんごつになって、何回か行き詰まった。そんときは落ち着いて、一晩考えたな。自分の経験を探ると、ちょっとした工夫で解決ができることがあった」特別の気遣いが必要な文化財工事 霊台橋は江戸後期に築造された後、明治・大正期に改変工事が行われている。そのため、築造時の状態に戻す工事には多くの困難があった。 「輪石と輪石のわずかな隙間から、モルタルを吹き込んであった。築造からだいぶたった後の修理だろうて思うが、工事石材の接合に接着剤を使用霊台橋の壁石の巨大さが分かる霊台橋保存修理工事の様子