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概要

20150218-0005-001

竹部光春氏の石工人生 39改革成功による資金が充てられ、肥後で名工と知られる岩永三五郎を招き、築造は進められた。この時期に甲突川に架けられた5橋は後に、「甲突川五石橋」と呼ばれるようになり、その規模や意匠、構造等からみて、日本の土木史上貴重な技術遺産とされてきた。 甲突川五石橋は、社会環境の変化に合わせて改変工事が加えられ、人や自動車が通行する実用橋として利用されてきたが、1993(平成5)年8月に発生した集中豪雨により川が氾はんらん濫し、新上橋と武之橋が流失してしまった。そこで残った西田橋、高麗橋、玉江橋の3橋を貴重な土木文化遺産として後世に残すため、河川改修に合わせ、解体・移設・復元し、保存されることになった。*9 「西田橋移設復元工事報告書」(鹿児島県土木部平成12年4月発行)には事業の経緯が次のように記されている。(1)事前調査 全体的な事業の進め方について検討した後、民間コンサルタントに西田橋の現況調査を委託し、平成7年(1995)1月以降は調査委員会に諮りながら、各種測量をはじめ、外観からの改変跡や損傷等の調査、橋面や基礎の地中予備探査、載荷試験と応力解析、石橋復元等の事例調査などを実施して、石橋の解体設計と復元工法の検討を行った。また、移設地については敷地現況測量や地質ボーリング調査を行って、整備基本計画を策定した。 これらの調査結果を踏まえて、同年5月31日付けで西田橋現状変更の許可申請を提出した。(2)石橋調査解体 西田橋現状変更の許可が得られた後、平成8年1月から解体工事のための作業ヤード等の造成に着手し、一般交通を迂回させるための仮橋の完成を待って、2月21日、石橋解体に着手した。工事は、過去に行われた改変である橋面敷石へのコンクリート直打ちや高欄接手のモルタル補修などに悩まされたが、その後はほぼ順調に進み、出水期の6月から9月までの河川内工事休止期間を挟んで、同9年1月10日にはすべての石橋解体が修了した。 これと並行した施工監理については(財)文化財建造物保存技術協会(以下、「文建協」と略す。)に委託し、事前調査を担当した民間コンサルタントと教育庁文化財課の協力を得ながら、事前調査では確認できていない事項を中心に、各種測量、変形・損傷・改変痕跡調査、構造仕様等技法調査、基礎地盤の調査等を行ったほか、復元施工時のための、各作業段階でのアーチ変位計測、石材位置関係のマーキングなどを行った。 なお、出水期の間には、左右岸の取り付け道路の発掘を実施した。*9 西田橋に関する記述については、「西田橋移設復元工事報告書」(鹿児島県土木部平成12年4月発行)、「石橋記念館展示解説書」(財団法人鹿児島県建設技術センター平成12年8月発行)を参考にした。