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概要

20150218-0005-001

竹部光春氏の石工人生 43任の橋本氏が橋の高さを計測した結果を竹部さんは、当初計画に比べ5㍉の誤差に収まったと聞いた。目を養い、次に腕を養い、人間性を磨く 工事の現場では、現場監督のほか多くの職人らとともに作業を進める。竹部さんは現場の人付き合いや仕事の進め方について、次のように語る。 「昔の採石場とかにはちょっと、話しかけにくい人や注意しておいた方がいい人も居お った。工事現場の人間関係は難しか。しかし相手から、いい仕事する職人と思われるようになると、仕事がうまくいくようになるもんたい。他人に好かれようとするより、自分の腕を磨くことが大事になる」 「責任のある仕事を任されると、行き詰まったように思うこともある。こうしておけばよかったと、後で思う。しかし、そのとき慌ててやり直すといかん。自分がした仕事を前から見る。仕上がりの見た目が大事になるけんな。自分がした仕事だけでなく、他人の仕事も見るといい。プロの目で自分の仕事を見ると、他人の仕事との違いが分かる。自分の仕事を自慢するために見るとじゃなかし、他人の真似ばしろということでもなか。一生懸命に自分の仕事ば見て、自分の目を養うことが大事たい。目を一番に、腕を次に使うようにしなければいかん。布積み*14も谷積み*15も基本は同じ。土木工事は長く残るけんな、仕事に誇りばもって、プロらしか仕事ば残さんといかん。それには経験が必要になる。数多くの仕事をすれば、勉強することは多くなる。応用できることもある。長年の経験から引き出せることも経験の数だけ増える」 竹部さんは石工修業で大切なことは、「一に目を養い、二番目に腕を使うこと」と教える。その上で、誠実な人間性の大事さを語る。 「西田橋の復元工事が終わった後、東京から文化庁の課長が確認に来こ らして、工事の出来に満足しとらしたて聞いたばってん、わしたちは一つ一つ、真面目に集中して仕事ばしたけん、でけたて思うとる。ただし、言われたことを聞いているだけでもなかった。言われた通りにしたけん出来の悪かったて、言い訳もできんけんな。仕事をするには実行力がいる。名工といわれた岩永三五郎さんも橋本勘五郎*16さんも、人柄の評判はよかったごたるもんな。人柄の悪かと、それが仕事に出るもんたい。石工棟梁は人間関係に気疲れする役目たい。ましてや文化財の仕事は、いつもの石工仕事とは勝手が違うし、責任もあり、慣れん人間関係もある。慣れん人と仕事ばするときは、相手から信頼される人間性が大事になる」 「今では石工仕事はそう多くなかばってん、依頼があったら、頼んだ相手は困っとらすけん、なるべく早く頼まれた仕事のできるごつ、そんときの仕事は残業ばして、がまだして(頑張って)依頼された仕事に行き*14 布積みは、段の高さをそろえ、横目地が水平になるように積む。*15 谷積みは、石の角がV字の谷形になるように石材を斜めにして積む。*16 橋本勘五郎は種山石工衆の一人で、霊台橋(美里町)で石工棟梁を務めた宇助と通潤橋(山都町)で棟梁を務めた宇市の弟(丈八)。寸志により熊本藩から「橋本」の名字を名乗ることを許され、橋本勘五郎と改名。明治になると政府から東京に招かれ、明治6年に神田筋違橋(萬世橋)、翌7年に浅草橋を架け、熊本に戻ってからは、明八橋(熊本市中央区)、明十橋(同)、永山橋(菊池市)、高井川橋(山鹿市)、下鶴橋(御船町)、洗玉橋(福岡県八女市)ほか、幕末から明治・大正期にかけ多くの石造アーチ橋を架けた。種山石工衆の中では最もその名が知られている。