ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

20150218-0005-001

5石橋構築・修復技術者を養成 江戸時代の後期、肥後の種たねやま山村(現在の熊本県八やつしろ代市東とうよう陽町)には当時、国内最高峰の石橋築造技術を有する石工集団がおりました。「種山石工」と呼ばれ、下益城郡美里町の霊れいだいきょう台橋(国指定重要文化財)や上益城郡山都町の通つうじゅんきょう潤橋(国指定重要文化財)など、巨大な石造アーチ橋を架けたことで全国に名を馳せました。その後も大正期ごろまで熊本県を中心に数々の石橋を架け、現在も残る各地の石橋は、種山石工の技術の確かさとその心意気を示しています。 太平洋戦争が終わり、高度経済成長が始まるころになると、日本の土木技術は急速な進展を見せるようになります。しかし一方で、種山石工の確かな技術を受け継ぐ石工技能者は減少の一途をたどり、現在ではただ一人になってしまいました。 その人物とは、下益城郡美里町在住で、1933(昭和8)年生まれの竹たけべ みつはる部光春さんです。竹部さんは2009年に現役を引退され、現在は81歳。種山石工の技術を受け継ぐ石工の師弟関係をさかのぼると、通潤橋を築造した石工棟とうりょう梁の宇ういち市に連なります。竹部さんは熊本県内で河川の石積み工事などで腕を磨き、1980年竣工した霊台橋保存修理工事や1999年竣工の鹿児島市の西田橋移設復元工事といった、文化財に指定された大規模な石橋の工事で石工棟梁を務められました。 江戸時代後期、鹿児島藩から招かれ、鹿児島城下の西田橋築造を任されたのは、肥後の名工と名を馳せた岩永三五郎(野のづ津石工)でしたが、三五郎は通潤橋築造時の石工棟梁宇市の師匠でもあったことが、竹部光春さんとの縁を感じさせます。 日本の石造アーチ橋は9割近くが九州・沖縄に分布しており、現存する石橋は、それらが架設された時代の人々の思いや生活のあり方など、地域の歴史や文化を知るための興味深い手掛かりを提供してくれます。また、周囲の自然に溶け込んだ石橋は、四季折々に私たちの心を癒やしてくれます。石材や石積みなどの特徴を知ると、それぞれに違いがあることが分かり、石橋への興味は尽きません。 日本の石橋を守る会(会長・甲斐利幸)は、石橋の文化的価値を大切に考え、日本の石橋を守っていきたいと願う人々の集まりです。石橋を保全する運動を全国各地の石橋愛好家とともに展開しようと、1980(昭和55)年に発足し、関係機関への陳情、保全対策の推進などの活動を続けています。2011年からは、種山石工の技術と心意気を絶やしてはならないという思いで、石橋構築・修復技術者の養成を図る事業を立ち上げ、「肥後種山石工技術継承講座」を開催しています。 素晴らしい伝統技術が確実に次世代に受け継がれ、石橋とその文化的価値が守られるよう、皆さまのご理解とご支援をお願いいたします。      2015年2月 日本の石橋を守る会      石橋構築・修復技術者養成事業実行委員長 上塚 尚孝