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概要

20150218-0005-001

70 第3 章 日本の石橋の現状町指定重要文化財になったが、82(昭和57)年の集中豪雨による洪水で崩壊した。その後、石材は可能な限り回収されたが、復元の予算措置と移設場所は決まらないままである。将来の復元を予測して集めた石材が同町の「熊本こども総合療育センター」(当時・松橋療護園)敷地内に保存され、復元の機会を待っている。 石橋構築・修復技術者養成事業実行委員長の上塚尚孝氏(1935年生まれ)は、生家近くの大野川に架かっていたことを覚えている。 同橋は1877(明治10)年の西南戦争の際、西郷隆盛を首領とする薩摩軍が、南の八代に海路上陸した政府軍の進撃を阻止するために破壊したとみられるが、種山石工の橋本勘五郎の家から同橋の修理見積書が発見されたことから、橋本勘五郎が修理したと考えられている。また同橋は、中世に全国に敷設された主要道路にあったとされる。 なお、宇城市豊野町にある石造単一アーチ橋「薩摩渡し」(宇城市指定重要文化財)とは同じ橋名だが別の石橋である。北川内橋 熊本県上益城郡山都町の筒川に架かっていた「北川内橋」は、1988(昭和63)年5月の集中豪雨による洪水で大きな被害を受けた。同橋は災害後間もなく解体され、石材は同町城原の緑地広場に保管されている。復元に向けた設計図も用意されたが、保存場所や費用の問題が解決できない状況が続いている。すでに25年以上が経過しているため、石材の保管場所では木や草が繁茂した状態になっている。◆ ◆ ◆ 崩壊は移設を前提とした解体とは状況が違い、復元には各石材が使われていた位置を特定することが技術的に困難である。ただそのような技術面の課題に対しては、3Dレーザースキャナーや写真測量を用解体前の北川内橋熊本県上益城郡山都町北川内の筒川に架かっていたが、1988(昭和63)年に解体。径間8.4㍍、橋幅2.4㍍と推定されている洪水により崩壊直前の薩摩渡し(上久具橋)熊本県宇城市松橋町の大野川に架かっていたが、1982(昭和57)年の洪水により崩壊。径間5.52㍍、橋幅1.95㍍と推定されている