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概要

20150218-0005-001

84 編集後記編集後記 2011年度から日本の石橋を守る会の会報「日本のいしばし」の編集・制作を任されている。同年、石橋構築・修復技術者養成事業が始まり、私は会報でその取り組み内容を紹介してきた。第4期はこれまでの講座を振り返り、課題の整理と実習の方向性の検討とともに、肥後種山石工技術継承者である竹部光春師匠の技術と心意気を記録する作業が計画された。多くの読者にとっては事業の報告書となり、受講者にとっては教則本にもなる内容の冊子を制作したいと、事業実行委員(世話役)の尾上一哉氏から取材・編集を依頼された。これまでの事業の進捗状況を知り、竹部師匠を取材したいと考えていた私にとっては、やりがいのある話であると思われ、その役割を引き受けた。 竹部師匠はすでに紹介した通り長年、石と向き合ってこられた名工で、その言葉には真面目な職人気質と現場体験から学ばれたと思われる骨太な知恵が感じられる。実は私は、現役を引退された竹部氏のこれまでの石工人生と仕事に対する思いなどを会報で紹介したいと考え、そのことを日本の石橋を守る会事務局長で事業実行委員長の上塚尚孝氏に相談していた。しかし12年の12月に竹部師匠は体調を崩され、その後も復帰には時間が掛かりそうな状況であったため、取材を半ば諦めていたのだが、14年4月になり、本誌制作に関する企画を聞いたのである。 同年の第4期講座に先立ち企画会議が開かれ、その場で久しぶりに竹部師匠の元気な姿を目にすることができた。講座が始まると、上塚委員長の巧みな問い掛けのおかげで、竹部師匠は数々の体験や考え方を語られた。その話を聞くたびに、技術は文字や図面・映像などに記録して伝えることができるが、技能は人に備わるものであるため、職人の身体的・人格的特徴を除外して語ることはできないということを強く意識した。竹部師匠の言葉は味のある熊本弁である。本誌にその言葉を記録するに当たり、それが竹部光春氏の人柄と体験に基づくものであることを可能な限り素直に伝えたいと考え、できるだけ多くの人が理解できる熊本弁で表記したつもりである。 上塚委員長にはイラスト入りの豊富な現場レポートを提供していただき、一部は会報でも紹介した。実習現場に行くと、石に向かい汗を流す受講者たちを見ながらスケッチブックに作業の様子を描く上塚委員長の姿をよく目にした。石橋が架かる場所には川の流れがあり、水の音と草木の匂いがするものであるが、上塚委員長もまたそうした場所を好まれ、そこにたたずむ時間をたのしんでおられたように思われた。 第3章は「日本の石橋の現状」という、本来は多角的な視点から取り上げるべき大きなテーマを掲げたが、現時点では取材が十分でないため断片的な内容になってしまうことを承知で、あえて事業の背景を紹介してみた。基礎になった情報は、日本の石橋を守る会に寄せられた、会が発足した1980年以来の石橋研究・調査をはじめ会員のさまざまな活動によりもたらされたものである。もちろん、上塚尚孝氏や尾上一哉氏からの情報提供も反映されている。 第4章では「石橋ドクター」と呼ばれる、熊本大学大学院の山尾敏孝教授に寄稿いただいたことにより、土木工学者の視点から日本の石橋の現状とともに、石橋の将来を展望することが可能になったと考える。