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概要

20150218-0005-001

12 第1 章 肥後種山石工技術継承講座 経過報告する約13,000人の薩摩軍に城を取り囲まれ、猛攻を加えられたが、城を守る約3,500人の兵力で52日間に及ぶ籠城戦を続け、ついに落城しなかった。その要因の一つには、城が堅固な石垣に守られていたことが挙げられる。*10 熊本城の石垣は、石材同士の接合面に隙間があり、そこに小さな石が挟まれた「打ち込み接は ぎ」といわれる工法。この工法は、割った石(雑割石)をそのまま削らずに石垣に積むので、あまり時間をかけずに積むことが可能だが、大きな石の周辺をしっかり小さな石で押さえないと強度が不足する。加藤清正が招いたとされる穴太石工は城郭用石垣築造の専門家集団として知られていることから、十分な強度の高石垣を、比較的短期間の工期で完成させたとみられている。 一方、1854年築造の通潤橋のように、隣り合う石材との隙間ができないように石材を削り組み立てる工法は「切り込み接は ぎ」といわれ、石材の加工に熟練を要するが、石材同士の摩擦力で十分な強度を保つことができるため、石造アーチ橋は後者の工法で築造されている。「打ち込み接ぎ」から「切り込み接ぎ」へ<10月10日 同レポート> 熊本城の見学は、熊本城石垣修復技術者の木下浩昭さんの案内で、まず「二によう様の石垣」からスタート。二様とは2つのタイプということで、1つは加藤清正が近江から招いた穴太石工衆の技を見る石垣で、比較的古い石積み。同程度の大きさの石を隅角に使用し、隅角稜線部の勾配は上になるほど急になります。その後に完成した石積みの技法が「算さんぎ木積み」です。隅角に長方形の石材の長辺と短辺を交互に重ねることで強度を増す積み方で、隅角稜線部の勾配も急になり、上部は反っています。一般に「武者返し」の呼び名があります。 次に東へ移動。本丸御殿下の広い石垣のところには、午後に予定されている石割り実習用石材(安山岩)が数十個ありました。さらに東に行くと櫓やぐらが続き、不あかずのもん開門が見える辺りで石段を下り、須すどぐちもん戸口門へ。右手の石垣は、ここも「打ち込み接は ぎ」と呼ばれる工法。石垣用にほぼ同じ大きさに割った石材は、隣接する石*10 熊本城の歴史は熊本城公式ホームページ「歴史ドラマ」を参照した。熊本城の二様の石垣