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概要

20150218-0005-001

第 1期 2011(平成 23)年度 13との間に隙間ができます。その隙間に小さな石を敷いたり、挟んだりして埋めていく工法です。 先週、実習を行った採石場に来られた木下さんは、竹部さんが石材をはつり、接合面を整えられている姿を見て、「熊本城の石垣に使う石は、削はつらんで使わんといかんのです」と言われた理由が分かってきました。熊本城築造の時代は、割ったままの石を使って石垣を積んだが、後の目めがねばし鑑橋*11が造られた時代は、石材を削って石材同士のすり合わせ面を広くしたと言えるでしょう。技法の進歩でしょうか。どうやら削る道具ができたようです。何とか「打ち込み接ぎ」の時代から「切り込み接ぎ」の時代への移行期が見えてきました。 須戸口門を出て、城の内堀の役目を果たした坪井川の右岸には、242㍍もある長ながべい塀を下で石垣が支えています。その石垣を見ていくと図Aのように、基本に忠実な6個の石材で囲んだものがほとんどです。場所によっては図Bのように7個で囲んだものや、8個で囲んだものもあります。木下さんに聞くと、図Bの例は石積みの悪い例だそうです。 石材Bの下が谷にならないようにしなければならないそうで、図Bの3番と4番の石材の谷に逆三角形の石を置くと平坦な線がつくれるので、その上に安定した石を置くといいそうです。裏込めに硬い小石を使い突き固める<10月10日 同レポート> 馬具櫓に近い長塀下の石垣に、図Cの石並びがありました。緩やかなアーチができていましたが、これは悪い例で、木下さんが積み直しをするそうです。不ぞろいの美が求められるのでしょうか。崩れ始めたら連鎖して崩れるからでしょうか。 復元予定の馬具櫓*12の石垣を下から見ると、上層部の石材は面つらに対し控え(奥行き)が短いようなので、「これはやり直しですか」と木下さんに聞くと、櫓の横木を置くために、控えの短い石材を置くようにとの注文に従ったのだそうです。櫓の下になるところはグリ石*13が敷き詰められ、木下さんに聞くと、硬い石をずっと底まで突き固めてあるのだそうです。馬具櫓を復元した後、建物の軒から落ちる雨水を端の方へ流す溝には、平板な石がV字型に置かれていました。 「熊本城お城まつり」で賑やかな櫨はぜかたもん方門から、行みゆきざか幸坂へ出て坂を上りました。2003年に復元された▲図B(熊本城の石垣)▲図C(熊本城の石垣)*11 「目鑑橋(めがねばし)」は、肥後に多い石造アーチ橋の表記。九州の他の地域では、「眼鏡橋」「目鏡橋」と表記されるほか、石造アーチ橋を「車橋」「太鼓橋」と呼ぶ地域もある。*12 熊本城の馬具櫓(ばぐやぐら)と続塀(つづきべい)は2014年9月に復元工事が竣工。見学当時はまだ石垣の上に建物はなかった。*13 グリ石は、岩石を小さく割った石材で、地盤を固めるために使われる。割栗石(わりぐりいし)とも呼ばれる。▲図A(熊本城の石垣)