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概要

20150218-0005-001

第 2期 2012(平成 24)年度 23度に解体・撤去され、石材が保管されていた。日本の石橋を守る会会員の中村秀樹氏が代表取締役を務める株式会社建設プロジェクトセンターが宇城市からの発注を受け、同橋の復元が実現。同じく会員で世話役の尾上一哉氏が代表取締役を務める株式会社尾上建設が施工を行った。2012年12月に着工し、翌13年1月18日に復元工事は完了した。  以下に同事業の実行委員長である上塚尚孝氏のレポートを紹介する。復元の前に求められる確実な解体工事<12月25日 上塚尚孝委員長のレポート> 1999年は松合地区が高潮災害に見舞われた年。その年の暮れに浦うらんたにん谷川に架かる3基のめがね橋(下しもすばし須橋・宮みやのまえばしノ前橋・須すのまえばしノ前橋)のうち、宮ノ前橋を不知火町文化財保護委員と調査しました。その際、その15㍍下流に架かっていた須ノ前橋を撤去する話が出ていました。 現場で私は「撤去を担当する業者は、撤去工事の経験がありますか」と役場関係者に聞くと、「ないでしょう」という返答。それでは復元のときに困るので、その場に同行をお願いしていた尾上さんに、解体マニュアルの作成を依頼しました。 しかし今回、復元工事に掛かってみると、解体時にそのマニュアルが生かされていないことが分かりました。例えば、輪石の石材は全部で91個ある。番号は記入してあるものの、半数は消えかかって判読不能。また、両脚部の水没していた箇所の石材は不確か。そのため復元工事は、基礎を2段積むだけで何日もかかり、技術指導を行う竹部光春師匠は、12月の降雨と海から吹く風の寒さも加わり、気分が悪くなられてしまいました。 輪石の切り口面がわずかにずれていることから、橋全体がやや斜めに架かっていた可能性もあるが、解体時の対角線計測値が見つからなかったので、分からずじまい。そんなことから復元工事は、予定をオーバーして越年した。須ノ前橋のイラスト。上は作業中、下は支保工を取った後の姿