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概要

20150218-0005-001

竹部光春氏の石工人生 35 熊本県が発注する河川工事を請けた坂中師匠は、下請け業者に仕事を発注するが、その仕事はあまり評判がよくなかったようで、河川工事の仕事を竹部さんに依頼してくるようになる。 「師匠から『竹部くん、うちに来てくれ』て頼まれて、白しらいと糸や名なれかわ連川、二にせもと瀬本、甲こうさびら佐平地区の石積み工事をした。師匠のところでは6年間仕事をした。その間に一通りの仕事ができるようになったと思う。独立してからは白川改修の仕事をした。工事現場の近くには食堂(飲食店)があったのでよく行っていたが、現場が移ったら店も移ってきて、店員に『あんたは前の店におった人だろ』と言ったことが、2度も3度もあった。そういう時代だった」腕を磨くが、石工仕事は減少 竹部さんは白川改修工事の仕事がなくなると、建設会社に住み込んで働くようになる。そこで巻まきてんば天端*3など、さらに高い技術が必要な石積みの仕事を手掛ける。 31歳になった竹部さんは結婚し、2年後に長男、その後、長女が生まれる。しかし世の中は、石積みの仕事が減少し、コンクリートを使った土木工法に切り替わっていく。採石場で石を切り出す「山やまかた方」の仕事はどんどん減少していった。現場で石材を積む「積つみかたみ方」を専門としていた竹部さんも、ブロック積みなどの仕事をせざるを得なくなった。重要文化財保存修理で石工棟梁 1978(昭和53)年になり竹部光春さん(当時45歳)に、霊台橋保存修理工事の石工棟梁の仕事が依頼される。霊台橋は単一アーチ橋*4で、橋長*589.9㍍、橋幅*65.45㍍、橋高*716.03㍍、径けいかん間*828.24㍍。江戸期に築造された石造橋としては当時最大で、国の重要文化財に指定されている。 霊台橋は江戸後期の1847(弘化4)年に築造された後、改変が行われている。架設当初はアーチの中央部がやや盛り上がった形だったが、1900(明治33)年に県道開通に伴い路面を水平にするため、両岸巻天端で積まれる霊台橋の袖石垣霊台橋の石切り場*3 巻天端は石材を積み上げた上部が曲面になるように組む方法で、河川などの流水部分に用いられることが多い。*4 アーチが一つだけの橋を単一アーチ橋、複数のものを多連アーチ橋という。多連アーチは、アーチの数に応じて2つを2連、3つを3連と数える。*5 橋長 橋の全長のことで通常、橋の両岸に設置される親柱(おやばしら)間の距離をいう。親柱とは、転落防止用の柵の役割を果たす高欄(欄干)の起点に設置され、橋名や架設年月日などが彫り込まれている。*6 橋幅 橋の幅員のこと。人や車が通行する路面(橋面)の幅を橋面幅ということもある。*7 橋高 基本的に水面から橋面までの高さをいい、高欄の高さは加えない。*8 径間 アーチ基底部の輪石根元(基礎石の上の輪石)から一方の輪石根元までの距離。スパン(支間)ともいわれる。