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概要

20150218-0005-001

竹部光春氏の石工人生 41行って施工に反映させたほか、アーチ閉合後のアーチ石合端*12の挙動を観測した。(5)移設地の整備 石橋復元設計に並行しながら、県立埋蔵文化センターに委託し、移設地の発掘調査を実施した。その結果を踏まえ、(財)日本緑化センターに委託して移設地整備の実施計画を検討し、平成9年9月に調査委員会において基本的方向が了承された。 その後、石橋記念館建物については、施設要件を示した指名提案型の設計入札により実施設計を行って、工事に着手した。 また、御門設計と石橋記念館展示内容については、さらに検討を進め、同11年3月の調査委員会において了承を得て、実施に移した。 その他についても、詳細を実施設計により確定させて工事に着手し、移設地整備の全体は、同12年4月25日の石橋記念公園開園までにはすべてが完了した。思わぬアクシデント 西田橋移設復元工事では、熊本の霊台橋保存修理工事の際に工事主任補佐だった財団法人文化財建造物保存技術協会の橋本孝氏が工事主任として現場を指揮し、竹部光春さんが石工棟梁を務めた。 「橋本さんは厳しか人だった。融通を利かせるようなところが一切なか人で、石を大切に扱うように、慌てんように、自分勝手なことをせんように、絶対に間違いのないようにて言われた」 「西田橋は石材の種類が多かった。板状、柱状、切り込みが入ったもんもあって、石材を間違えんごつするのにも神経を使うた。西田橋にはだいたい小野石が使うてあったが、3カ所か4カ所の山から切り出した石もあったと思う。現場で一緒に仕事をしとった人たちは、地元の石材店に勤める人が多かったけん、石材の種類とか特徴をよく知っておった。それで安心して仕事ができた。工事主任と話し合いながら、一つ石を積んで合っとるかどうか確認しながら、確実に作業ば進めた」 ところが西田橋の工事の最中に、高欄小柱の根元で石材を接合し固定するためのほぞ*13が1本が折れたことがあった。竹部さんは当初責任を問われたが、折れた小柱を調べると、石の目が横になっていることが分かった。石の目が横になった細い石材は、横方向からの衝撃に弱い。他の小柱は全て石の目は縦なのである。 歴史を振り返ると西田橋は江戸期に築造後、1877(明治10)年に起きた西南戦争で被害を受けた。人力車や馬車が交通手段として使われるようになると、橋の両岸に取り付けられていた階段が取り除かれ、石畳の斜路に改変されている。1910(明治43)年には高欄や路面敷石を一度取り外して、両岸側に壁石を継ぎ足し、中央部は壁石を削って下げ、やや中央部が盛り上がった橋の勾配を緩やかにする大規模な*12 合端とは、石垣などに使われる石材などが互いに接している部分。*13 ほぞは、接合のため一方の木材や石材に穴をあけ、そこに木材や石材をはめ込むために設けた突起。