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概要

20150218-0005-001

46 第2 章 匠の技*3 「コロ」は、石材などの重量のある物を運ぶ際、円柱形の丸棒などをいくつも下に並べて置き、円柱の回転を利用して重量物を動かす。山下 勇輔 (やました・ゆうすけ)1964年生まれ、熊本県上益城郡山都町在住、石材店経営者本田 和幸 (ほんだ・かずゆき)1991年生まれ、熊本県上益城郡山都町在住、建設会社社員平生 勝治 (ひらばえ・かつじ)1962年生まれ、熊本県芦北郡芦北町在住、建設会社経営者藤原 孝史 (ふじわら・たかし)1975年生まれ、熊本県上益城郡山都町在住、石材店後継者荒木 大人 (あらき・ひろひと)1983年生まれ、熊本県上益城郡山都町在住、建設会社社員聞いたことはなかですが、石材の切り合わせをきちんとやるには、ヨキ(石材の表面加工に使用する石工道具)を使って合あいば端がぴたっと合うようにすると見栄えがよかです。石が密着するようにしておくと、石垣は長持ちします。 上塚 西山邸の石垣に使われた石材は控え(奥行き)が約130㌢もあると、先代のご主人から聞いたことがあります。 竹部 控えが長い石材を使うということは、それだけで長持ちを保証したようなもんです。間知石がいまのように控えがない形になったとは、コンクリートを後ろに詰めて工事ばするごつなって、費用を安くできるようになってからでしょうな。 上塚 鹿児島の西田橋の壁石に使われた石材は、控えが長かったのでしょう。 竹部 西田橋の壁石には大きな正方形に近い石材が使われとって、しっかり造ってありました。あれだけの石材であれば、なかなか壊れることはなかでしょう。 上塚 鹿児島の指宿の海岸(宮ケ浜港)には、岩永三五郎が造った石積みの防波堤が残っています。そこは直方体の石材を重ねて、それを少しずらして積んであるのですが、頑丈な造りに思えます。 竹部 西田橋の付近には石山が何カ所かあったようですな。鹿児島ではよか石材が採れたごたるです。私もいくつか鹿児島の石山を見に行ったことがありました。 上塚 当時は重い石を運ぶのも大変ですから、石材は近くから切り出したのでしょうね。 竹部 石材が豊富にあるところなら、できるだけ近くから切り出してきたはずです。石の運搬は江戸時代なら、「そり」や「かご」に乗せて「コロ」*3を使うしかなかったでしょうな。採石場が遠くなればそれだけ、けが人が多く出たはずです。石の目を見て矢穴を掘る 受講者のほとんどが初めて石割りを体験する映像を見て、竹部師匠は次のように語る。