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概要

20150218-0005-001

石橋保存の壁 69費用などの課題を検討するとこになった。 夕尺橋は14年12月に解体・撤去され、石材は旧中島東部小学校の敷地内に保管されている。移設保存工事は、肥後種山石工技術継承講座の受講者が参加できる方向で実現するよう検討が進められている。御船川目鑑橋 熊本県指定重要文化財の「御船川目鑑橋」は上益城郡御船町の御船川に架かっていたが、1988(昭和63)年の集中豪雨により橋が崩壊。しかし、流失した石材は可能な限り回収され、大量の石材が現在も御船町民グラウンドに保管されている。 御船川目鑑橋の架設記念碑から石工は、種山石工の宇助、宇市、丈八(橋本勘五郎)の兄弟だったことがわかる。かつてあった町の案内板には次のように記されていたという。 木倉手永惣庄屋光永平蔵惟詳*9が御船の豪商万屋林田儀七郎能寛*10らの寄付を得て架設した双鏡の大石橋。起工弘化4年7月。竣工嘉永元年。延長60㍍。幅員3.6㍍。高さ11㍍。石数850個。費用900両。役夫2万人。この架設により御船町の商工業がとみに繁栄したと伝えられる。 御船町は過去に度々水害を経験している。1951(昭和26)年の水害の際は、昭和初期に架けられた鉄筋コンクリート橋(御船新橋)が流失する一方、御船川目鑑橋はその耐久力を示した。しかし、70年代前半に上流の堰せきが撤去された後は、アーチ基底部が水流に洗われるようになっていたようである。*11薩摩渡し(上久具橋) 熊本県宇城市松橋町の大野川(寄田川)に架かっていた「薩摩渡し」(上久具橋)*12は、1980年に松橋流失前の御船川目鑑橋1988(昭和63)年の集中豪雨により崩壊。熊本県上益城郡御船町の御船川に架かっていた*9 光永平蔵惟詳は、上益城郡御船町の八勢川(御船川支流)に八勢目鑑橋(熊本県指定重要文化財)も架けている。*10 林田儀七郎能寛(1817─1885年)は、御船町の豪商(万屋)で、代々続く酒造業に加え海産物貿易などで富を築き、その富を公益事業に注ぎ、御船川目鑑橋、八勢目鑑橋の完工に尽力した。*11 御船川目鑑橋については、「目鑑橋礼讃」上塚尚孝著、私家版、1998年発行を参考にした。*12 薩摩渡し(上久具橋)については、「目鑑橋礼讃」を参考にした。御船川目鑑橋の石材(御船町民グラウンド)